2018年12月24日月曜日

メリークリスマス


今まであった身体の一部を捨てた。
古くさいけど一番効いた。

あの人が好きか迷ったパーマ
あの人に気づいてほしくて変えた結びかた
あの人にかわいいと思って欲しくておろしたあの日の髪

はさみが入って髪が落ちていくたび
心が軽くなるのが分かった

切り離したかったのは
自信がなくて勇気が出せなかった自分

2019の抱負を聞かれて
迷わず、真っ直ぐに答えられた

「恐れずに いい恋をすること」

付き合った人の数や経験人数。
そんなのはなんだってよくて
人と 人として 真っ直ぐに向き合ってきたことを誇りに思う。

好きってなにってよく聞かれるけど、自分の好きがなにか分からない人も沢山いるのに私はこんなにも強烈に、自分の好きが分かる。
私はいつも自分の心臓が動く感覚に気が付いて大切にしてきた。
だからこそ深く傷付く自分を、私は恥ずかしいとは思わない。

「あったかい湯船にちゃぷんとつけてくれるような人に出会って欲しい。
綺麗なものに気付いて、集めていく人生はとっても素敵だよ。」
そう言って、私のために目に涙を溜めてくれて、ありがとう。

いつもこの時期だ。
キリスト教徒には死んだってなってやらない。

それでもきっと来年も
クリスマスが大好きだけどね。

2018年12月5日水曜日


窓がいいなと思っていたビルが忽然と消えていた。
小さい頃から、あの窓が好きだった。
ビルの前にあるスナックは、昔は「桜子」って名前だったから特に印象に残ってる。
人が居なくなった建物を、廃墟と見るのと建築とみるのとで感覚は全然違って、私は大抵、「この建物がいきていたら良いのに。」と思うから、後者でみること多いんだと思う。
同じような乱雑さやすくみがあっても、人が居る建物と居ない建物では、なにがあんなに違うんだろう。
幼いころから、あ、ここはもう人が居ないんだ。というあの感覚には長けていてこれは母親ゆずりであることに間違いないしだとしたらそれって私が感じてる家族の暖かさや息が、家の息づかいのように感じていたからなのかな。

「建物が活きていたらいいのに。活きて初めて生きることが出来るのに。」

私たちも、きっとそう。

2018年12月1日土曜日

Bury

Buryから限定200個のトラベルキット。
こんなスペシャルなキット、見たことない。

自分へ買う人もいるだろうし、贈る人がいれば受け取る人もいるだろうし、コレクションする人だっていると思う。
誰が誰のために買って、
どんな人がどんな風に使うんだろう。
200個の物語を想像するだけで、不思議で、幸せな気持ちになる。

古いバックについた口紅のシミとか、古着のポケットのハンカチとか、花屋さんとか、ケーキ屋さんとか。

毎日、誰かの思い出や物語に触れて生きている。
私もいつか、もしかしたら今もどこかで、誰かのそれになったりするんだろうか。